毎年4月、銀襖の前の総をどりで幕を開け、
爛漫の春から夏、錦秋の秋から冬、
そして再び春の花見で幕を閉じる華やかな舞台は、
明治5年の創始からの伝統です。
MIYAKO ODORI
令和七年 第百五十一回都をどり「都風情四季彩」は四月一日の初日より、四月十五日の休演日をはさみ二十九日間の公演を昨日三十日に無事、千穐楽を迎えさせていただきました。
本年は九年振りに両花道から登場する総踊りの踊り子を二十人に戻し、より華やかに、又それに伴い囃子方にベテラン芸妓さん復活出演により落ち着いた雰囲気と確かな芸をご覧いただけたと存じます。こうして新たな第一歩となる年の都をどりを踏み出せました事は私共関係者にとりましても大きな喜びでございます。
ご来場賜りました多くの皆様、ご支援ご協力賜りました皆様方に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
令和七年五月一日
学校法人八坂女紅場学園
祇󠄀園甲部歌舞会
「ヨーイヤサー」の掛け声で幕が上がると
一度も幕を下ろすことなく、
四季折々の衣裳をまとった芸妓・舞妓が
次々と現れて舞の世界へといざないます。
衣裳は京友禅と西陣織の匠の手になる逸品です。
舞台装置は日本画の伝統技法などを駆使し、
名所旧跡の佇まいを忠実に再現しています。
舞台の上手では黒紋付姿の芸妓が
「都をどりは」という呼び出しの声と三味線・唄を、
下手では総をどり姿の舞妓が笛や太鼓などの
鳴り物を奏でます。
専属の作家による書き下ろしの新曲に
京舞井上流家元が振付をした新作舞です。
歴代の作家陣には作家・谷崎潤一郎や
歌人・吉井勇らが名を連ねます。
明治5年 | 第1回都をどり(京都博覧会の附博覧として、祇園新橋小堀の松の家にて) |
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明治6年 | 第2回都をどり(附博覧の好評を受け、建仁寺塔頭旧清住院を改造した歌舞練場にて) |
明治17年 | 第13回都をどり 京都初の電気燈の実験場に (祇園甲部歌舞練場にて) |
明治21年 | 第17回(春)・第18回(秋)都をどり(第三回関西府県聨合共進会余興) |
明治23年 | 第20回都をどり 有栖川宮殿下とコノート殿下 (イギリス ヴィクトリア女王三男)ご観覧 |
明治28年 | 第25回(春)・第26回(秋)都をどり(平安遷都記念) |
大正2年 | 祇園甲部歌舞練場が 現在地(祇園町)に竣工 |
大正4年 | 第46回(春)・第47回(秋)都をどり(御大典奉祝記念) |
昭和3年 | 第60回(春)・第61回(秋)都をどり(御大典奉祝記念) |
昭和19年~24年 | (戦争により休演) |
昭和25年~27年 | 第77・78・79回都をどり(南座にて) |
昭和28年 | 祇園甲部歌舞練場に 2階客席を増設 |
昭和39年 | 第91回(春)・第92回(秋)都をどり(オリンピック東京大会記念) |
昭和47年 | 第100回都をどり(創始100年記念) |
平成6年 | 第122回都をどり(平安建都千二百年記念) |
平成13年 | 第129回都をどり(皇太子殿下(現在の今上陛下)ご観覧) |
平成28年 | 祇園甲部歌舞練場が耐震改修のため休館 |
平成29・30年 | 都をどりin春秋座(京都芸術劇場春秋座にて) |
平成31年 | 南座新開場記念 都をどり(南座にて) |
令和2年~3年 | (コロナ禍により休演) |
令和4年11月 | 祇園甲部歌舞練場の耐震改修工事竣工 |
令和5年4月 | 祇園甲部歌舞練場 新開場記念 都をどり |
令和6年4月 | 祇園甲部歌舞練場 第150回 都をどり |